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けいふくきゅう 景福宮

管理者 0 1,697 2017.07.11 11:32

李朝時代の正宮「景福宮(キョンボックン)」についてご紹介しましょう。ソウル市内にある5大王宮の中でも12万6337坪(416,990平方m)と最も規模が大きく、また建築美に優れた宮殿が評価されている景福宮は1395年(太祖4年)に創建され、現在は国の史跡第117号に指定されている古宮。景福宮内にも数多くの文化財があり、敷地内には国立古宮博物館や国立民俗博物館もあり、ソウルに来たら必ず行っておきたい場所ナンバーワン!それではさっそくナビと一緒に景福宮の観覧に出かけましょう! まず景福宮についてくわしく説明しましょう。景福宮は1395年(太祖4年)創建された朝鮮王朝の正宮。1392年、朝鮮を建国した李成桂(イ・ソンゲ)は首都遷都を決定し、即位から3年後の1395年、高麗の首都だった開京(ケギョン・現在の開城(ケソン))から首都を漢陽(ハニャン、現在のソウル)に移転。景福宮はその過程で造られた宮殿で、現在の青瓦台(チョンワデ・大統領官邸)のような機能を果たすまさに、王朝の心臓部でした。ちなみに景福宮の「景福」は「詩経」に出てくる言葉で、王とその子孫、すべての人民(百姓)が太平の御代の大きな幸せを得ることを願う、という意味。また、景福宮の背後には白岳山(ペックァッサン)がそびえ、山から見て左側に宗廟が、右側には社稷がそれぞれ位置。昔、古代中国の周で定められた宮城の様式にそのまま従い、礼にかなうように建てられました。しかし中国とは異なり、宮殿を市内の北方ではなく西方の白岳山のふもとにおきました。 これは自然に依拠して家を建てるという韓国人従来の考えが反映されたため。山が多い韓国では人々は家を建てるとき、風水地理に基づき山の形態や水の流れを考慮し、家を建てる位置をきめました。景福宮を建てる時にも風水地理を考え、王宮を市内の北方におかず、ソウルの代表的な山である白岳山のふもとにおいたというわけなのです。 景福宮は1592年(宣祖25年)、豊臣秀吉による壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の戦火によって全焼するという悲運にみまわれ、それ以降、王宮としても不吉だという理由で273年もの間、再建されませんでした。しかし1865年(高宗2年)、興宣大院君(フンソンデウォングン)が再建に着手し、1868年(高宗5年)には創建当時の規模に復元。同年7月に高宗が昌徳宮(チャンドックン)からこの地に王宮を移しました。しかし1895年(高宗32年)、閔妃(ミンビ)が日本人の暴徒に殺害されるという事件が起こり、翌年2月に高宗がロシア公館に避難したことで景福宮は王宮としての運命を終えることになりました。そして1910年、日韓併合によって日本の統治下になると、景福宮内にあった約200の殿閣のほとんどが壊され、慶会楼(キョンフェル)や勤政殿(クンジョンジョン)などの10棟のみが残り、さらに日本が勤政殿の南側正面に朝鮮総督府庁舎を建てたことにより、景福宮の景観は完全に破壊されてしまいました。日本の植民地から解放された後の1945年から朝鮮総督府は政府の中央庁舎、その後は国立博物館として使われましたが、景福宮復元事業(1991年6月5日起工)に合わせて1996年11月14日、総督府の建物が完全に撤去されました。そして現在も少しずつ景福宮のもとの姿を取り戻すために復元工事の真っ最中。この復元工事が終わるのは2025年のこと!ちなみに復元の基準は景福宮が最後に完成した1868年時点で、その当時の姿を再現する予定だそうです