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漢陽都城の南の正門

管理者 0 2,329 2017.07.11 11:31

日本で韓国情報を紹介するテレビ番組。そんな番組のイントロで必ず使われる映像といえば?そう、南大門(ナンデムン)!建造以来600年の歴史を持ち、まさにソウルのみならず韓国を象徴する存在である南大門。正式には崇礼門(スンネムン)と呼ばれるこの城門は、長い間シンボル&憩いの場として市民に親しまれてきました。しかし2008年2月放火による火災で全焼・・・その姿は多くの人々に衝撃を与えました。この火災から5年2ヶ月の歳月を経て、このたび新しい姿で生まれ変わった南大門!そんなな南大門(崇礼門)の新しい姿をご紹介しましょ~


南大門市場なら分かるけど南大門(崇礼門)ってどこにあるの?そんな方もいらっしゃるはず。崇礼門は地下鉄4号線フェヒョン(会賢)駅5番出口を出て、南大門市場の中を通って行く方法と、ソウル駅から歩いて行く方法の2通りがあります。フェヒョン駅から市場の中を通って行く方が少し近く、南大門市場を見物がてら行けるから楽しいかも?南大門市場側から行くと、崇礼門の裏側に到着。入口はソウル駅側の正面なので、ぐる~っと崇礼門を半周することに。


朝鮮時代、首都である漢陽(ハニャン)の周りはぐる~っと城郭に囲まれた城郭都市でした。そんな城郭都市の南側の門が崇礼門。朝鮮建国の王、太祖イ・ソンゲ李成桂により、城門として1398年に創建されました。イ・ソンゲ(李成桂)は首都を定める際、炎の形に似ている冠岳山(クァナッサン)からの強い火気が漢江を越え都城に侵入することを懸念し、炎の模様をしている「숭(崇)」と五行思想の火にあたる「예(礼)」の文字を用い、お互いを向かい合わせて火気を食い止める意味を込め、崇礼門という名に決めたとされています。崇礼門は建設当時から火にまつわる運命もあったようです・・・


崇礼門(スンネムン)は城郭の南側に位置する主門であることから「南大門(ナンデムン)」とも呼ばれています。韓国で最も規模が大きな城門で、長い歴史の間、幾度の戦乱を経ながら完全な損失は免れ続け、2008年までは韓国に残る最も古い木造建築でした。1962年、朝鮮戦争で一部破損した部分の大規模な改修工事が行われたあとにあらためて国宝1号に指定。韓国の成長とともに増えてきたビルに囲まれるようになった崇礼門に2005年、横に崇礼門広場が完成、キレイに整備された広場に建つ崇礼門は、市民の憩いの場として親しまれるようになりました。しかし2008210日、放火によりほぼ全焼。約600年の歴史が一瞬のうちに失われてしまいました。その後、復元工事が2013年4月まで行われ、この工事に合わせて左右の城郭も一緒に復旧されました。


2008年2月に起きた放火により、1階部分が1割、2階部分の楼閣は9割が焼失した崇礼門。火災の3ヶ月後の20085月から復元工事が始まりました。まずは収拾作業、続いて20086月から2009年までは発掘調査、復元設計、考証調査が行われ、2010年から3年間、復元工事が行われました。復元工事では焼失を間逃れたものに関して精密検査が行われ、復元出来るものは保存処理をして最大限利用し、地面は朝鮮時代(中後期)にあわせて3050cm低くなりました。復元工事の期間は5年3ヶ月、費用は277億ウォン、石材は1228平方m、顔料は1332kg、瓦は23369枚、国内産木材料は25トンが使用され、35千人あまりの人員を動員。また火災に備え、スプリンクラーも新たに152個が設置されました。


朝鮮王朝時代、首都の漢陽(ハニャン)をぐるっと囲っていた城壁は日本統治時代に取り壊され、道路が建設されました。そのため、崇礼門も道路の真ん中にポツんと残るかたちになっていました。今回の復元工事では東側に53m、西側に16mの城郭が復元されました